2023年9月30日の早朝、宝塚歌劇団に所属する有愛きいさん(25歳)が兵庫県宝塚市内のマンションの敷地で亡くなっているという悲しい出来事が起きました。
また、10月28日には、彼女が所属する宝塚歌劇団宙組の先輩劇団員たちによる「集団でのいじめを受けていた」との報道がなされました。
この暴行に関与していると目される先輩の中の一人に、芹香斗亜さんの名前が挙がっています。
芹香斗亜さんといえば、宙組の男役トップスターですが、そんな彼女の母も元宝塚の劇団員だという事をご存じでしたか?
母の方は元月組のやはり男役で白川亜樹という名前で活躍していました。
また父親は父は元プロ野球選手の山沖之彦さんで阪急ブレーブスで投手として活躍。
元プロ野球選手の父親とタカラジェンヌの母というご両親ですが、引退後はお二人でカフェを営まれているそうです。
今回は芹香さんのご両親の現役時代や、経営しているカフェについて調査しました。
目次
芹香斗亜は母も宝塚に所属していた?
白川亜樹さんって元月組男役の方でキキちゃんのお母さんだよね? pic.twitter.com/V3g8CJUXhB
— アサキ (@flfecabone) August 27, 2016
宝塚歌劇団宙組の輝かしいトップスター、芹香斗亜。
彼女の舞台上での鮮烈なパフォーマンスは多くの観客を魅了し続けていますが、その背後には、宝塚歌劇団65期生として同じく輝いた経歴を持つ母、白川亜樹さんの存在があります。
1979年に宝塚歌劇団に入団し、男役として活躍した白川さんは、1985年までの短くも濃密な期間を通して、後の世代に大きな影響を与えました。
特に、自身の娘である芹香斗亜さんにとって、母の舞台は何よりの憧れであり、その道を歩む大きな動機となったのです。
では、白川亜樹さんの宝塚での活躍とは具体的にどのようなものだったのでしょうか?
母は宝塚歌劇団65期生として活躍していた
宝塚歌劇団の輝かしい舞台の上で、多くの観客を魅了した白川亜樹さんは、1979年に宝塚音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団65期生としてその扉を叩きました。
『男役』としての彼女の活躍は、短いながらも宝塚歌劇団の歴史に独特の輝きを放つものでした。
白川さんの舞台は、力強さと繊細さを兼ね備え、観る者を圧倒する独自の魅力に満ちていました。
宝塚歌劇団での彼女のキャリアは、1985年に寿退団するまで続き、その間に数多くの作品で主要な役を演じ、後輩たちにとっての模範となりました。
特に、芹香斗亜さんにとって母親の存在は、宝塚への道を歩む上での大きな影響力を持ち、彼女自身の舞台人生においても重要な役割を果たしています。
母親の宝塚での立ち位置は?
宝塚歌劇団での白川亜樹さんの軌跡は、まさに星のように輝いていました。
彼女の宝塚歌劇団での経歴は、北原千琴退団公演「花影記/紅はこべ」での初舞台から始まりました。
この公演での彼女の演技は、観客に強烈な第一印象を残しました。
つまり、ど肝を抜いたわけです ^ ^
そして1980年4月8日、彼女は花組に正式に配属され、宝塚の舞台でさらにその才能を花開かせます。
白川さんの宝塚での日々は、まるで物語のように華やかで、彼女が演じた数々の役はファンの心に深く刻まれています。
1985年に寿退団するまで、宝塚歌劇団で男役として舞台に立ち、多くのファンを魅了しました。
彼女の存在は、宝塚歌劇団の舞台をより一層鮮やかなものにし、今もなお多くの人々に語り継がれています。
芹香斗亜への影響は?
芹香斗亜さんが宝塚歌劇団の舞台で輝く背景には、母親である白川亜樹さんの存在が大きく影響しているでしょう。
宝塚歌劇団で男役として活躍した母の影響を受け、芹香斗亜さん自身も同じ道を歩むことを夢見るようになりました。
母から受け継いだ舞台への情熱と演技への真摯な姿勢は、彼女が宝塚歌劇団で成功を収める上での強固な基盤となっています。
実際、芹香斗亜さんは宝塚歌劇団でのオーディションに臨む際、母親の経験談やアドバイスが大きな励みとなったと言われています。
このように、母親のキャリアは芹香斗亜さんにとって、ただの過去の物語ではなく、彼女自身の未来を形作る上での貴重な教訓となっているのです。
母から娘へと受け継がれる宝塚への愛と夢は、芹香斗亜さんが今日、宙組のトップスターとして輝き続ける理由の一つと言えるでしょう。
そんな芹香斗亜さんですが、昨年彼女を中心としたグループによる悲しい出来事が宝塚内で起こってしまいました。
芹香斗亜の母現在は斗亜の父親と夫婦でカフェ経営?
おばんざいカフェ花唄さんに行ってきました。おいしかった! pic.twitter.com/mlkCeM8ulr
— すづけ (@suduker) November 8, 2021
宝塚歌劇団宙組で輝く「キキちゃん」こと芹香斗亜さん。
彼女の家族は、おばんざいカフェ『花唄』というお店を経営しています。
宝塚ファンなら誰もが知っている聖地のようなお店です。
ここでは、彼女の兄、山沖陽介さんがシェフとして腕を振るい、両親が経営を手助けするという形で営まれて”いました”。
宝塚ファンに愛されるこのカフェは、家族愛に満ちた温かな空間として知られています。
しかし、最近『花唄』は臨時休業を余儀なくされました。
この背景には、宝塚内で起こった出来事が関係しているようですが、詳しいことはまだ公にされていません。
山沖陽介さんは、以前はカフェの経営を担っていましたが、人生の新たな章を歩み始めることになり、両親が経営を引き継ぐことになりました。
カフェ「花唄」の経営を始めた経緯は?
芹香斗亜さんの父母は、現在「花唄」というおばんざいカフェを経営しています。
このカフェは、元プロ野球選手の山沖之彦さんと、元タカラジェンヌの白川亜樹さんが夫婦で運営しています。
「花唄」は、宝塚ファンをはじめとする多くの人々に愛されてきました。
元々は芹香さんの兄である山沖陽介さんが経営し、ご両親がサポートするという形で営まれていました。
たくさんの宝塚ファンの方が自身のブログやSNSに料理やお店の雰囲気とともに紹介していて、ファンにとってはまさに「聖地巡礼」
筆者はいった事がありませんが、写真から伝わる料理を見て、見ただけで美味しそうなのが分かるほどのクオリティでした ^ ^
しかし、カフェの歴史には転機が訪れます。山沖陽介さんが結婚し、お嫁さんの家業である織物会社を手伝うことになったため、カフェ経営から手を引くことに。
ご両親に経営のバトンタッチを促しました。
息子の新たな人生のスタートと共に、両親は再び「花唄」の経営を担うこととなり、家族が一丸となってこの愛されるカフェを守り続ける決意を新たにしました。
芹香斗亜の父親はどんな人?
芹香さんの父である山沖之彦さんは、1959年7月26日生まれの高知県出身で、プロ野球界で長年活躍した元投手です。
191cmの長身と90kgの体重、右投げ右打ちというスペックで、1982年から1994年まで阪急・オリックスで、そして1995年には阪神タイガースでその才能を発揮しました。
通算成績は327試合登板で112勝101敗24セーブ、防御率3.92という輝かしい記録を残しています。
カフェの臨時休業について
カフェ「花唄」は、2023年10月2日から臨時休業しています。
この突然の休業は、芹香斗亜さんが深くかかわったとされる、ある出来事に起因すると見られており、その具体的な理由については詳細が明かされていません。
このニュースは、カフェを愛する多くの宝塚ファンや地元の常連客たちにとって、大きな驚きとなりました。
休業の背景には何があるのか、憶測が飛び交う中、カフェの運営家族に対する支援の声や心配のメッセージがSNSを通じて寄せられています。
このカフェが再びその扉を開く日を、多くの人々が待ち望んでいます。
まとめ
#宝塚歌劇 #宙組 公演「#エクスカリバー」観劇❣️🕺💃
皆さんお歌が本当に上手で引き込まれました〜😍
新トップスターの芹香斗亜さん、キラキラしていてとっても素敵でした🤩✨✨✨ pic.twitter.com/B03q9lk3Mz— 日髙のり子 (Noriko Hidaka) (@nonko_hidaka531) August 5, 2023
宝塚歌劇団で活躍する芹香斗亜さんは、母が元宝塚のスターである影響を受け、自身も宝塚の舞台で輝く道を選びました。
彼女の母、白川亜樹さんと父親、山沖之彦さんは現在、カフェ「花唄」を経営しています。
このカフェは、宝塚ファンや地元の人々に愛される場所で、芹香斗亜さんの家族が提供する温かいおばんざいで多くの人々を魅了してきました。
しかし、2023年10月2日からカフェ「花唄」は臨時休業中で、この休業は芹香斗亜さんが関わったとされる宝塚内の出来事に起因すると見られています。
芹香斗亜さんの父親と母によるカフェ経営、そして現在の臨時休業は、彼女の人生と密接に関わっています。
















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